ソ連を中心とした共産圏が崩壊したのが1989年。社会主義は、国民全員が相互信頼に基づいて活動をしていれば最もよさそうな社会システムなのだけど、実際には「誰かが働けば僕は働いたフリをすればよいだろう」ということで人々の勤労意欲は低下し、あのような姿になってしまった。1993年にモスクワに訪問をして社会システムが壊れて新たな仕組みになる間の苦悩を目のあたりにしてきた。崩壊した後に多くの国民は元々の社会システムが良かったと懐かしがるが、もうその頃には戻れないのだろうと感じた。社会システムが崩壊した後の混乱ぶりといったらかなりのものだった。KBGの元幹部が早くも利権を自らのものとし、米国型資本主義社会にシフトしていき共産圏時代以上に富を得る構図は1993年のこの頃から芽がでてきていたので、ベンツとソ連時代の古めかしい車が一緒に走っている様はかなり異様であった。現在のロシアはラスベガスのようにカジノがとても沢山ある拝金主義的な街になっていることを2005年に再度訪問した際に感じた。現在は高層ビル建設が盛んでヨーロッパで一番高層なビルが建設中だという(現在建設は途中頓挫)。
米国もソ連と同様に物を作り出すという苦労を伴う作業から徐々に逃げていったという点で、ソ連と共通している点が多いと感じていた。GEは金融事業にシフトしていき、米国最大の家電メーカは「採算が悪いから」と、コスト削減のための改善をする努力を忘れて規模を縮小していった。また私が社会人となってからは、GMは工場を閉鎖して資金余力をだして高額配当をするということしかしてこなかった気がする。工場を閉鎖しても米国の自動車業界でトップシェアを維持しつづけられていることが不思議であったが、物を作りだす工場を閉鎖するということは長期的には規模が縮小していることになるのではないかと不思議な感覚にずっと捕らわれていた。
物を作り出すことは大変な作業を伴う。それは共産主義であれ資本主義であれ、人々が物を作り出すことは大変な労力なのだ。車などの工業製品にしろ、農産物にしろ沢山の労力によってなし得る産物。私たちはそうした労働に支えられた物資があるからこそ、豊かな生活が送れるのだ。戦後の物資がなかった時代のひとたちはあたりまえに感じていることだろうが、戦争を知らない私たちは物資があることがあたりまえと感じてはいないか。そのため、お金があれば物資は手に入るという錯覚により、物を作り出す大切さを忘れてしまっているのではないだろうか。
スーパーでまっすぐな大根が100円で売られているのが普通だと感じている都会の私たち。その大根1本を100円で届けるために途中でどれだけのロスがあるかご存じだろうか。まず畑で収穫された大根の50%は、形が優れないなどの理由で破棄となる。築地や太田市場を経由した段階で3%~20%程度がロスされる。収穫された農産物はいったん人が沢山いるところに近い市場にもっていけばお金になるだろうと勝手に鮮度が命のトラックでたらめに走らせ、市場で余ったらまた荷物を積み込んで別の市場へ輸送する。その間に鮮度が落ちたら安くしていくということの繰り返し。これが21世紀のいまでも行われているという事実に驚愕してしまう。私たちが100円で購入できている大根に対して農家にいくら支払われたのだろうか。その大根を私たちに届けるためにかかった経費は?
農家1世帯(2人)の平均所得は200万円だという。戦後の財閥解体のために作られた相続税と相続者が平等に分配する仕組みによって生産者あたりの畑はどんどん小さくなり、非効率な生産が余儀なくされ、結果として専業農家は現象することになっている。ソ連や米国の社会システムの崩壊が日本でも進行している。自動車・電機によって外貨を稼いでいるために外国から食料を調達することができ日本の社会システムは守られてきたが、この貿易依存体質は今回のような世界恐慌に対して脆弱であると指摘せざるを得ない。
米国を中心とした資本主義経済システムは崩壊し、その米国の一番近くにいて協調路線をとっていた戦後の占領下政策が続いている日本や韓国は、その影響を大きく受けたと言える。米国内からも「金融は産業発展のための補佐的な仕組みであったはずであったのに原油などの物資を買い占めたり企業買収による転がしなどで稼ぐという機軸産業にしてしまったために、経済実態がなくなりソ連と同様に崩壊したのだ」ということを指摘する声が増加している。このことに気がついている人は、自らを客観的に見ることができている人であると私はおもう。
残念ながら多くのひとたらは過去の働かなくていい転がしによってお金が得られるという楽な世界の再来を望んでいる。しかしそれは止めなくてはいけないと強く感じる。様々な手法で元々の仕組みを復活させることができるが、もっと事態が悪化するだけに違いないことは明らかだ。生産は中国に任せておけばよいという考えも環境問題などを考えるに、やがて自分たちに戻ってくることは間違いない。環境対策をせず河川の汚染がひどい中国と海が続いている日本において、日本海側の魚は美味しいということが昔話になるのは、もう目の前のこととも言える。カーボンマイレージの観点からも国際的な生産に関しては再考すべき時期にきている。
もう1週間ほどで2009年を迎えるにあたり、2008年は米国を中心とした資本主義経済が崩壊をしたと捉えるのが正しいだろう。60年以上に渡って続いていた第二次世界対戦以降の2つの経済圏がともに崩壊をしたのだ。昨年あたりから崩壊が見えてきていたので、ブログにも多くそうした書き込みをしてきたがそれが悲しい現実になってしまったということだ。
私たちは何をすればよいのか。世界を見渡すとアフリカ諸国、中東、アジアでは米国型社会システムが彼らを実質的な奴隷として使い倒した悲しい現状がみえてくる。私たちは、まずそうした人たちと基本的に平等な地球市民であることを再認識しなければならない。行うべきアクションプランとしては
【超長期的な行動】
●軍事産業の宇宙開発産業へのシフト
==>作って壊す産業構造は宇宙開発が最適
●世界中の軍の解体
==>雇用の受け皿である軍は、世界中に助けを必要としている人たちの労働力へ
(医師・教師/農業支援/インフラ整備/etc.)
【長期的な行動】
●ユーロ的な国家に属さない新たな世界共通通貨を作り出す
==>これによりフェアトレードは加速的に広まる
●カーボンマイレージの観点から関税強化など保護貿易を強化する
==>地産地消の原則。
●世界中の子女が初等教育を平等に受けられる機会を国際的に取り組む
==>先進国による積極的な支援
●地下資源に頼らないエネルギーシステム
==>頼っていること自体が不思議。蛸が足を食べると自滅するよ
【中・短期的な行動】
●証券化商品の封印(規制ではなく全廃)
==>現物の転がしの禁止
●先物市場に関しては輸出入企業が自己扱い分に限定したものとする
==>さもなくば大岡越前裁きが下る
●通貨は金本位制へ
==>裏付けのない紙はトイレットペーパーでしかない
来年は、地球市民すべてがいままでの過ちに気がつきひとりひとりが活動をしていくことを望みます。私は自分でできる農業流通の改革にお役に立ちたいと考えています。引き続きネットマーケティング事業に関しては支援し、「苦労せずしてホームページの目標達成はなし得ない」という創業以来もう19期目にはいった会社の代表として引き続き行動をしていきます。
みなさん、よいお年をお迎えください。